***山行報告・武奈ヶ岳***
憧れの武奈(途中)!
2008年3月16日(日)
久保・吉尾・中野(記録)
近畿地方で超有名な山で有る比良の武奈ヶ岳と富士山(近畿と言わず世界的だが)には自身未だ未踏峰である。その憧れの武奈ヶ岳についに登る機会が訪れた、実際には過去何度かあり其れが事々く頓挫した、理由は色々あるが、薄ら憶えている事がある。
二十歳の半ば頃だと記憶している、盛夏の時期なので夜間登山する事になり夕方に登山口を出たと思う。先発隊が居り午後9時ごろ遅くとも10時には予定の小屋(高津山荘、当時親交の有ったI先生が登山部の顧問していたので、鍵を借りた)に着く予定だった。先発隊は10人程、後発隊は二人で私はその一人。どのコ−スを行ったか全く記憶な無いが、小屋の近く迄辿り着いて居た事は確かだった。
夜間で初めて行く山、二人共それ程山の経験は無い。近郊の山に珠に行くハイキングと夏の北ア、中ア、中国、木曾の山々にしか体験していない。夜の山登りなどは初めてであるが25、6歳の若い肉体は体力も有り、今思えば安易に考えていたと思える。道を間違えたのか一向に着かない、何時間も歩き登っても目的地に到着しないのだ、若くとも相当動き廻ったので疲れ、其のうち諦め適当な処でテント、ツェルト無しでのビバ−クとなった。殆んど眠れなかったが夜明けと共に出たら直ぐに着いた。近隣で泊まった様だった、暗くて判断が付かなかったのだ。先発組は心配していたようだが、連絡しようが無いし、予定通り出ているかも解からない状態だったので、朝まで待っていて対策行動を取る積もりの処、そこに到着した。
結局二人は疲れて武奈に登るのを止め、暫らく小屋で睡眠を摂り、其の間先発隊は武奈ヶ岳に登り、一緒に降りた。だから小屋までは登ったが武奈には登らなかったのだ。
今から30年以上の昔話し、其の小屋も無くなり、青春の思い出だけが心深に残っている。
その後計画しては頓挫し、バス、リフト等が廃止され、近いが遠い忘れられていた存在の山だった。
前置きが長くなったがその山の山行報告である。
今回の武奈ヶ岳山行も色々有り結論から話すと私だけが失敗、他二人は山頂に到着した。『武奈ヶ岳は近くて遠い山』には変わらない。
予定では午前7時46分京阪京橋駅発特急に乗り出町柳駅に8時40分集合だったが、時間を思い違い何故か7時半に自宅を出た、本来なら其の時間にJR天王寺駅発の電車に乗る時間なのに。自転車を飛ばしに飛ばし天王寺駅に着いたのは7時37分、120円の切符を大急ぎ買い、残り8分、後5分は欲しい、無理だと諦め40分発快速に飛び乗る、大阪駅から湖西レジャ−号に間に合えば堅田駅からのバスで経路は違うが集合場所の坊村に着く筈。
大阪駅着、ダシュでホ−ムに走る、しかしそれらしき電車の案内が無い、駅員さんを捜しだし聞くと、つい今しがた出たと告げられた、此処でも3分程の遅れ。気を持ち直し追い着く方法を模索、新幹線も頭を過ぎったが其処もモッタイないと、新幹線ではないが新快速が8時に出る、同じ《新》が冠に付くこれは早い、山科駅で湖西線に乗り換えれば堅田からのバスに間に合う可能性ありと賭ける。
ところが山科駅での湖西線の待ち時間が長い10分程、此処で今回参加の吉尾氏にケイタイを掛け堅田発のバスに時間を聞くが、憶えてはいない、解からないの返事。兎に角その10分間を辛抱強く待ち堅田駅に着く、駅前のバス停、坊村行きの時刻表を凝視、8時45分1本しかない、もう遥か昔の時間帯だ、此処で電車ゲ−ムは終わった。坊村に行く方法は只一つ、ヘイタクシ−!
比良駅に着き吉尾氏にケイタイを入れる、工作が尽く失敗、坊村に行けず、中峠で待っていると。
イン谷口までタクシ−と一瞬頭をかすめたが、軽身だし徒歩30分程、タクシ−待ち時間を考慮すれば差ほど短縮には成らないと却下、即歩出す。
寄り道したので遅い出となった10時前だ、前後には誰一人もいない、28分でイン谷口に着いた、日陰に残雪が寂しく横たわっている。山荘の戸は固く閉じられ人の気配はない無人の様子、この時期に営業していない事はもう廃業なのか、スキ−場、リフト等の廃止でこの賑わった山荘も何れ朽ち果てるのか、考えてしまう。
進んで行くと、車が道端、広場に駐車、その数が増してくる、只人影は見ない。少し変な感じだ、山中で明るい日差しの中多くの車が動くこと無く駐車、廻りには私以外には居ない、静寂だけは支配している。
泉、なにわ、京都、滋賀と近県が多い、バス路線が廃止の影響でマイカ−組が増加している様だ。
大山口を過ぎた辺りから前後に僅かだか人影が見え始めた。青ガレ、金糞峠経由、中峠で落ち合う、今回も武奈ヶ岳は断念しなくては、次回に持ち越しとなる。
高度300mくらいから雪が目に付き、400m過ぎたらトレ−スの付いた雪道になり、当然上るに雪の深さも増す。
何度か堰堤を超え登山道を行くが、雪のトレ−ス後を追いかけて飛ばした。青ガレに辿り着く距離時間なのに一向に見えない、左に入り登山道を外れた様だ。間違いを気付いたが戻れば時間のロスなので進む事にする。トレ−スは明確に続いている、但し古い感じがするし多人数のではない、2、3人の様だ。
沢伝いのトレ−スは時々高巻きをするが、その斜面は雪壁の如く立っている、ザイルが欲しい処だが、ピッケルと靴の蹴り込みで突破。途中トレ−スを見逃し余りにも上に高巻き過ぎ、降りる時下を見ると80度くらいの斜面を登った様な感じ目が眩みそう、此処でもピッケルと登山靴を蹴りこみ降下、トレ−スの後を追う。
沢を何度か渡り此処で沢とも別れを告げ、それから先は左にデブリが堆積したルンゼが待ち受けていた。先程の高巻きの雪壁に比べると傾斜がゆるそうに見えた。
今まで雪がグズグズでアイゼンは着けていない、今まで無しだから装着しないで登れると判断そのまま休憩なしでそのルンゼに取り付く。デブリはルンゼの全体の3分2程、下部の中央に堆積、正に雪崩の巣だ。温度は高いが雪面は安定している、そのデブリの右側にトレ−スが続いている。
一度だけ蹴りこんだ足が決まらなく崩れズルと1.5m程落ちたが直ぐピッケルを打ち込んで止まった、下を見た加速が付けば絶対に停止出来ない斜面だ、アイゼンを着けていれば多少は役に立つかも知れないが、此処では無理。トレ−スは付いてはいるが古い精か崩れている、より慎重に蹴りこんで足場を固め登高して行く。上部の登山道らしい部分が除々近づくと同時に傾斜が緩んできた、振り向くと登って来たル−ト全体が見渡せた。然程距離のある、急峻な斜面とは感じないが雪崩が発生すれば、大怪我又は死亡に繋がる可能性が高いのだろう。時期的に雪面は今が安定している様に思える。
堂満、北の登山道に出た、寄り道の寄り道だ、登山道を急ぐ。金糞峠までの道は多くのパ−ティに出合ったが、その峠から中峠迄の道では殆んど人影は見ない。
シンドイ寄り道の精か疲れを覚えながら遅足になり、2時15分くらいに中峠に着く、しかし未だ坊村組の到着を見なかった。勿論私し意外だれも居ない。
此処で持参のノンカロリ−発砲酒をプシュ言わせ、喉の渇きを癒していると、前方から二人連が視界に入った、どうやら坊村組だ、声を掛けた、間違いない。10分程の待ちだ、今まで上手く行かなかった手順が此処でようやく噛み合い、ドンピシャで合流。帰路は琵琶湖側に求めた。今回最後でつじつまが会った、変な山行であった。
最後に、時間の思い違いで主催者が途中参加のドタバタの山行で、坊村組にはご迷惑を掛けたと思います、ここでお詫びします。御免なさい。
参加者 久保さん、吉尾さん、中野